過去を振り返ってみると、自然しかなかったなぁと・・・。20歳過ぎるまで長野から出ることはなく、いつでも周りは山でした。生まれてからしばらく八ヶ岳の山の中でした。大体、植物でも昆虫でも「ミヤマ」が、野菜には「高原」の文字が頭につくし(笑)
みなさんは行ったことありますでしょうか。蓼科をさらに登っていくと、「
ピラタス蓼科ロープウェイ」(外部サイトへ)というのがあります。(昔は、「ピラタス横岳ロープウェイ」しかも県営だった)その「山麓駅」裏手の宿舎に住んでいました。父はロープウェイの点検士、母は喫茶店のウエイトレス。まるでドラマです(笑)幼稚園も小学校もまず山を下りて停留所までいき、そこからバスにゆられ30分ほどかかります。一番近い家というのが、山小屋風の喫茶店か別荘・・・。私と弟の“社会適応”ということを心配して、小学校へ上がる前に父は転勤願いを出し、一家で引っ越すことになったのです。
「わー、町だ!」と思いました。そりゃ八ヶ岳から下ってくればね・・・。父方のおばあちゃん家が近くになり、1年通じてよく遊びにいきました。100年以上経っている大きな家で、池も庭も畑も山もあります。土間があり、土蔵があり、居間も15畳以上ある大黒柱のしっかりした古い家。
今でも引き出しをあけると明治時代の地図が転がっており、廊下には足ふみミシン、はた織り機や5つ玉のそろばん、戦時中の絵葉書、父が中学のときに使っていた地球儀等々、色んなものがでてきます。
小学校の頃、私と弟は、おばあちゃん家の探検が大好きでした。2階に隠し部屋とかあったりしてね。
そして、その頃には四季折々の行事が家にありました。